雲南省は、ミヤンマー·ラオス·ベトナムと国境を接する中国西南端に位置する省であり、古来より少数民族による国家が栄えた地で、現在もタイ(傣)族、ペー(白)族、ナシ(納西)族など多くの少数民族が独自の文化と伝統を守って暮らしています。高原部が全省の95%を占めていることから、自然美と少数民族の文化が雲南省観光の最大の特色といえます。
■麗江概要
麗江は雲南と青海・チベット高原を結ぶ横断山脈に位置しナシ族が集まり住むところです。元代初期に現在の麗江古城の原型となる街がつくられました。ナシ族の中で今も生きる象形文字・トンパ文字のふるさとでもある麗江は歴史遺産にも登録された古く美しい街で時代をタイムトリップしたような錯覚を覚えます。
■玉龍雪山
年間200万人の観光客が訪れると言われる雲南省の観光の名所・玉龍雪山は、標高5596mで麗江のシンボルとして古くから人々に崇められてきた山です。玉龍雪山は、ナシ族語で「白砂(麓の村落の名)の銀色に輝く山」という意味の「ボスオル」と言われているます。大雪山は南北に連なる13の峰からなり、一年中真っ白な雪を湛えており、高原の青空に映えるその雄姿が、空を往く銀の龍のようで「玉龍雪山」と名がついたといわれています。
■玉龍雪山ロープウエイと人道
標高3356mのロープウエイ乗り場からロープウエイ15分で標高4506mまで一気に登ることができます。ロープウエイを降りると、レストラン、売店、トイレ、休憩室、医務室などが完備されたレストハウスもあります。この場所は、玉龍雪山山頂を身近に見られる絶好のポイントで、北半球最南端の青く光る氷河を観ることもできます。さらに人道階段経由で4680mの最高地点「氷川公園」まで登ることができます(約45分)。
■黒龍潭公園
古城の北に位置する公園。黒龍潭公園とも呼ばれ、公園内の池の水が玉のように碧いのでこの名がついたそうです。
園内には湖水に玉龍雪山を映し出す黒龍潭の傍らに五鳳楼が建ちます。明代の創建で法雲閣ともいわれる五鳳楼は、高さ20m、弓状に反り上がる屋根が鳳凰の飛び立つ姿を思わせ、楼閣の欄干にはナシ族特有の東巴(トンパー)文字が書かれている。園内の東巴文化研究所で東巴文字の経典を見ることもできます。他の古代建築は、彫刻が美しい三層四角の「得月楼」、光碧楼、龍神閣、戯堂、一文亭などがあります。
■麗江古城
「大研鎮」とも呼ばれる麗江古城は、南宋時代(12~13世紀)につくられ、約800年の歴史があります。古城の西に獅子山、北に金虹山があるため、街は東南に向かって伸びており、西北方向からの寒風邪を避けて、東南の暖かい風を迎えることができます。玉龍雪山のからの玉河泉水は、古城入水した後無数の川に分流しており、川には300以上もの石の橋が架けられています。伝統的なナシ族の「三房一白壁」と言われる四合院は「四方街」を中心に東西南北に延びています。石畳の細い路地、木橋、石橋、草花、魚、鳥、琴碁書画、などが相まって、古城は郷愁を感じさせる落ち着いた雰囲気です。麗江古城の形成、特にその独特な構えが歴史上の茶馬古道と密接な関係があると言われています。麗江古城は中原文化や欧米の影響のない都市設計です。四方街広場を中心に、大小様々な道が放射状に延び、中軸線がなく、左右対称の建築物もありません。中国の古城によくある城壁もありません。歴史上、麗江の支配者だった木土司の官邸は城の南の隅にあり、木を城壁で囲むと「困」の字になることを忌み嫌ったからと言われています。麗江の街は、南北に走る新大街一帯のエリアと四方街を中心としたエリアに区分できます。新大街はここ10年ほど発展した新しい街です。これに対して、四方街周辺のエリアは、麗江県城ができた頃からある旧市街区です。このエリアはナシ族の2階建て大造家屋が立ち並び、その間を細い石畳の小路が網の目のように四方八方に延びています。少数民族の歴史文化を継承し独特の町並みを持つ麗江古城は、1997年にユネスコ世界文化遺産に指定されました。
■東巴(トンパ)文化博物館
「東巴」は、もともとナシ族の言葉では、宗教儀式を司る祭司のことで「智者」を意味します。東巴文化は、納西族の一部族が、その長い歴史のなかで、自然への崇拝を民族の英知によって表現し、発展してきたものです。そこには、東巴教をはじめ、独特の象形文字である東巴文字、音楽、舞踏、絵画などが見られる。それらは主に唐宋期に形成され、東巴教の各要素として守られ、東巴経のなかに記録され、今日まで伝えられています。
東巴(トンパ)文字
東巴文字は、千年あまり前に表音的表現と表意的表現が入りまじって形成された、象形文字に似た独特のもので、「文字の化石」ともいわれます。 東巴文字で著した東巴経典は現在でも、中国内外に2万冊ほどが残っています。経典の内容は、宗教、民俗、歴史、文学、天文歴法、哲学など多岐にわたっています。古代ナシ族の「百科全書」と呼ばれるゆえんです。今ではこのトンパ文字を読める人間もほとんどいなくなってしまい、トンパ文化研究所を中心に保存活動が行われています。