■洛陽概要:
河南省の西部に位置する洛陽市は5000年の歴史を誇る悠久の古都として歴史的に知られています。東周、後漢、三国の魏、西晋、北魏などが都を置いたことから「九朝の古都」とも呼ばれています。その名にふさわしく中国歴代王朝文化の結晶で世界文化遺産のひとつでもある「龍門石窟」仏教が中国に伝来して初めて建立された仏教寺院である「白馬寺」、夏王朝から宋代までの文物が収蔵されている「洛陽博物館」など多くの見所があります。
■龍門石窟
龍門石窟は河南省洛陽市から市外南に6キロの「伊闕」という峡谷にあり、莫高窟(敦煌)、雲岡石窟(大同)、麦積山石窟(天水)と並ぶ「中国四大石窟」の一つです。龍門石窟は現在、中国国内で最も完全な状態で保存された大型石窟群で、中国の石刻芸術の宝庫とも称賛されています。「龍門」は昔、「伊闕」と呼ばれ、地勢が険しく、要衝に位置にするため、昔から兵家に必ず争う所でした。龍門は山水の景観がとても美しく、気候も環境も穏やかで人の心をゆったりとした気分にさせるので、文人たちが景色をながめ、遊覧する景勝地として最高の「洛陽八景」だと認められています。そして石質が良く彫刻しやすいため、多くの先人たちはここを選んで石窟を掘っていきました。そのため龍門に蜂の巣のような穴が無数に散らばっている現在の状態になってきました。龍門石窟は北魏孝文皇帝が洛陽に遷都した際に掘削され、東魏、西魏、北斉、隋、唐、五代、宋などの各時代、およそ400年の間に造営が続けられた結果、南北の長さ1キロ、現存する窟穴2300個、塑像10万尊、石碑拓本2800本、という今の遺跡ができあがりました。
■関林堂
関林堂は、中国河南省洛陽市の南郊7Kmに位置する、劉備に忠義を尽くした三国時代の英雄――関羽を祭る廟で、中国現存の三大関帝廟の一つです。ここは関羽の首塚として、その名は天下に轟いています。三国誌によると、関羽将軍は呉の孫権と戦い、湖北省宣昌近くの唐陽で敗北しました。孫権は魏国のトップリーダー曹操の歓心を得るために、殺された関羽の首を切り魏国の都-許都へ送りました。関羽の死に対する責任を魏国に転嫁することを知っている曹操は、関羽を義士と見なして、極力諸侯の礼を尽くして葬式を執り行いました。その後、忠義を重んじている関羽は後世に信仰され、全国で祀られるようになったのです。
■古墳博物館
市の北郊外にあり、総面積3万平方メートル、建築面積は7600平方メートル。博物館は地上と地下に分かれていて、前漢から北宋に至るまでの歴代の典型的な墓が23所あり、中でも前漢の「打鬼図」という壁画墓は特に有名です。典型的な墓葬といえば、前漢中期の貴族の卜千秋壁画墓があります。壁画には卜千秋夫婦が乗った蛇、西王母の使いである三匹の鳳凰、仙翁、仙女、朱雀、白虎などが描かれています。
■少林寺
洛陽の東にある少林寺は、インドの王子達磨(だるま)《中国語では、菩提達磨・プーティーダーモー》が、中国に初めて禅宗を伝えた寺として、全国にその名を知られています。達磨が、壁に向かって9年修行した話しは有名ですが、長い修行のあと、高弟にその教えを伝えたことで、少林寺が中国禅宗の祖庭として、ゆるぎない地位を占めるようになりました。清の基礎を確立した、康熙、雍正、乾隆の三帝も、禅宗に強い関心を持ち、少林寺に参内したといわれています。また、この寺は、修行僧の武術が盛んで、少林寺武術を実演するショーが呼び物のひとつとなっており、これを見に来る観光客は、あとを絶ちません。