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4つの世界遺産 北京

北京概要:

北京市(略称:京)は中華人民共和国の首都であり、全国の政治・文化・経済の中心です。中国の国土は一羽の鶏に例えられますが、北京はちょうど一番重要な「のど」の部分に位置しています。面積は1万6800平方キロで日本の四国とほぼ同じぐらいです。海抜は10メートル。山地が62%、平地が38%を占めています。人口は1382万人で、東京都とほぼ同じぐらいです。北京市は中国の6つの古都のひとつで長い歴史を持つ街として、世界中で人気が高まりつつあります。数多くの古代宮殿・皇室園林・廟壇建築など歴史文化あふれる景観が現在でも残っています。

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 ■万里の長城

八達嶺長城“世界7大奇跡”の1つで、中国観光のハイライトです。万里の長城は紀元前7世紀の春秋時代から明代まで、約2000年以上に亘り造成を重ねてきました。現存するものの大部分は、明代の建造で、総延長約6000キロの世界最大の城壁であり、衛星写真でもはっきりと見ることができます。八達嶺長城は、北京から約60キロ離れた居庸関の北に位置し、保存状態がよく、長城の中でも代表的な区間で観光客が最も多いです。 長城の城壁は、中国が統一された秦の始皇帝の時代に、「匈奴」の侵略から領土を守るために建設され、その後、城壁は拡大と延長を繰り返し、明朝の時代に完成したといわれています。 城壁の総延長は、7300キロで、城壁は、西は嘉峪関の砂漠から東は渤海まで続きます。高さは平均、7.8メートル、土台は重さ500キロの巨大な花崗岩で築かれています。 城壁の上には、馬5頭もしくは、人10人が並んで進むことができます。 東西に1つずつある城楼は古代の関所で、明の弘治十八年(1505年)に建造されました。 東の門には「居庸外鎮」、西の門には「北門鎖鑰」と字が彫られています。1987年世界文化遺産に登録されています。

■天安門、天安門広場

天安門天安門は、北京市東城区に位置する城門であり、世界遺産・故宮(紫禁城)の正門であった門です。最大で50万人を収容でき、国家行事や歴史上の大事件の舞台となってきました。広場の中は、北から人民英雄紀念碑、毛主席紀念堂、正陽門(前門)が設けられ、広場の西側には人民大会堂(全国人民代表大会議事堂)、東には中国国家博物館(旧・中国歴史博物館および中国革命博物館)があります。する城門であり、世界遺産・故宮(紫禁城)の正門であった門です。高さ33.7mの2階建ての門楼です。明の永楽帝によって1417年に建設され、承天門と呼ばれていましたが清代に戦火で焼失し1651年に再建され天安門と改称されました。1949年10月1日に毛沢東がこの楼上から中華人民共和国の建国宣言を行った場所でもあり、中華人民共和国の国章にもその姿が描かれるなど、中華人民共和国の象徴のひとつとされています。楼上に登ることができ、天安門広場の広さを俯瞰することができます。

天安門広場を更新する人民解放軍天安門広場は、天安門の前に広がる、南北880m、東西500m、面積44万㎡の世界最大の広場です。最大で50万人を収容でき、国家行事や歴史上の大事件の舞台となってきました。広場の中は、北から人民英雄紀念碑、毛主席紀念堂、正陽門(前門)が設けられ、広場の西側には人民大会堂(全国人民代表大会議事堂)、東には中国国家博物館(旧・中国歴史博物館および中国革命博物館)があります。

■故宮

故宮博物館故宮博物院平面図北京の旧市内のほぼ中央を占める紫禁城のことで、明・清時代の古い宮城ゆえに故宮と呼ばれ、約490年間、24人の皇帝の居城となりました。故宮は1961年に中華人民共和国国務院によって全国初の「重点文物保護単位」の一つとなり、更に、1987年ユネスコの世界遺産に指定されました。元は故宮と共に宮苑や官庁を併せた区域を皇城と称しました。故宮は、南京から北京に遷都した明の成祖永楽帝が、1420年(永楽18年)に元の宮城跡に竣工したもので、明末に大破壊をこうむったあと、清がほとんどその規模を受けついで復興し今日に至っています。故宮は南北960m、東西760m(約72万m2、東京の皇居は約22万m2)で、高さ10mの厚い城壁に囲まれ、四面に各1門、四隅に角楼を設け、その外に幅50m余の堀をめぐらしています。この中に9000近くの部屋があり、明代では9000人の宮女、宦官10万人が住んでいたといわれいます。故宮の四面に城門があり、南の午門は現在、参観者の入り口であり、北の神武門は出口となっており、故宮には、南北に通る中軸線に沿って宮殿建築が配置され、左右対称につくられています。赤い壁に黄釉の瓦をいただき、柱や梁の表面は文様や彫刻で埋められ、きらびやかであり、数多くの宮殿や楼閣からなる建築群は、壮麗で、雄偉です。

 

■天壇公園

天壇公園

「故宮」の約3倍の283万㎡という広大な敷地面積の公園で、明代の1420年に永楽帝が天地を祀る「祈年殿」を創建し、後に「圜丘(かんきゅう)」、「皇穹宇(こうきゅうう)」が増築され「天壇」と命名されました。園内は南が方形、北が円形の敷地となっています。これは「南方北円」といって地と天を意味しており、南北線上に「圜丘」、「皇穹宇」、「祈年殿」が並んでいます。また南から北に向かって勾配があります。「天壇」のシンボルでもある「祈年殿」は、高さ38m、直径32.7mの円形の木造建築物で、現存する中国の祭祀建築物として最大級のものです。三層構造の建物には梁や棟木、釘がまったく使われておらず明代用式を伝える建物として貴重な存在です。

■頤和園

頤和園頤和園は290万㎡という広大な面積をもつ北京最大の庭園です。12世紀の中ごろの金代に皇帝の離宮として造園されたのが始まりで、清代の1750年に乾隆帝が母の還暦祝いとして、昆明湖大改修工事を行い清漪園(せいきえん)を造園し現在の頤和園の基礎となりました。1860年英仏連合軍によりほとんどが破壊されてしまいましたが、この公園がお気に入りだった西太后が軍費3000万両を流用して修復し、「頤和園」と名づけられました。西太后はこの地をこよなく愛し晩年は1年の大半をここで過ごしたといわれています。